夜のこどもたちは夢をみる

子どもに眠りを 大人に愛を

pcy-why?

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実父に会ってきた。

ゴマ塩だった髪が、総白髪になっていた。

濁った眼は濁ったまま、肥った腹は肥ったままだった。

実母が誰かと結婚したらしいよ、というと、薄い反応を示した。

でも主に自分の話をした。

妄想と現実との区別はもうついていないようだった。

認知症というのではなく、「妄想と現実」を使い分ける人だったのだ、と配偶者は言う。それがただできなくなったのだ、と。

具体的に言えば、私が殴られて血を流していることを「見ている」のに、それを「敢えて」なかったことにした。私が売られた金で実母がギャンブルに依存しているのを「見ている」し「嘆いている」のに、やはり「敢えて」なかったことにした。

なかったことにして、なかったことにするよう周囲に圧力をかけた。非常に現実的な圧力だ。彼は土建のグループ会社の会長で、「その筋」の連中と仲が良かった。

高校時代、私を助けてくれようとした教師が、圧力をかけられた。肩口から肺に達する刺し傷を実母から負って、そのまま登校した私(血だらけだ。迷惑な話だ。)を保健室から直行して入院させた教師だ。私が退院する前日に彼は病院に来て、「どんな人間も信用するな。どんな人間も、自分を含め、必ず裏切る」と何度も私に言い聞かせた。

(私(彼女)は彼を好きだった。彼も私を好きだったと思う。一緒に暮らそうとも言ってくれていた。それはもちろん、保護する目的だったにしても。)

きれいに彼は裏切った。

退院して学校に復帰したとき、私は職員室に出入り禁止になっていた。

暴行は悪化した。

実父が圧力をかけたのだ、とわかった。いつものように。

そして人は必ず裏切るのだ。

その呪いは幾重にもなって私を今も縛り続けている。

配偶者も、「本当の私」を見れば、黙って私を見捨てるだろう。

「本当の私」だったらきっと誰もいなくなる、それはつまり、

はじめから本当は誰もいないんだっていうことだ。

an-non-children

 私なんか死ねばいいと何回思っているんだろう。

今日のことだ。

体がうまく動かない。

それを「優しい」「おだやか」といわれ

そうじゃなくて早く帰って横になりたいと願いつつ

帰ったら帰ったで一晩かかりの煮込みを仕込んだりしている。

私なんか死ねばいい、を予測変換してくれる機能はすごいな、とおもう。

「周囲の安穏と生きている子供がばかばかしかった」

と一番尊敬している人は言う。

けど、私にも君がそうじゃなかったようにはあまりみえなくて

それはたとえば

玄関のドアを開けたらまず親の機嫌を伺わなくてはいけないとか

ときどきやってくる男が「そういう趣味」かどうかを伺わなきゃいけないとか

もっとときどきやってくる父の機嫌をじっと観察しなくてはいけないとか

そういうのがないという意味で。

 

amazarashiの「自虐家のアリー」に刺激を受けて、一篇中編を書いて応募してみた。

歌詞がまんま、だとおもう。

 

安穏と生きている子供ばかりじゃないんだ。

でも、安穏と生きている子供を、私はうらやましいとも思わなかった。

たとえ学業やスポーツで秀でていようとも、

どこかしらで彼らから嘲られていると感じていた。

仲間に入りたいと願った。

どうすれば彼らの仲間になれるのかと。

本当に友達がいなかった。

皆/私の壁はあまりにあつくて

それ以上に皆はあまりに高く遠い場所にいた。

それをごまかすように、成績とスポーツと生徒会を頑張った。

オトナには私がゆーとーせーにみえただろう。

でも結局化けの皮がはがれた。

誰も私を対等になんて愛してくれない。

誰も。

誰一人。

愛しても、それは皮だけ。

表面で娼婦を演じる私を。

そうしてそれを試してためして、

私はやっぱりねと引きちぎる。

最悪だと思う。

安穏な子供が一番いいのですよ。

だってそう言ってるあなたも十分安穏な子供です。

そう言いたくてたまらない。

わからない。きっとみんなそれなりのエーテルのゆがんだ符牒をもって

でもそのエーテルは誰にも伝わらず

 

だからわたしたちは永遠に孤独だ。

 

 

季節は次々死んでいく

季節は次々死んでいく

 

 

 

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「どしゃぶりの雨の中ずぶぬれで走っていけるか」


amazarashi 『もう一度』 - YouTube

 

数年前、MCの極端に少ない秋田ひろむが、

「amazarashiなんて負け犬の聴く音楽なんか聴くなって親父にいわれちゃった」

っていうファンレターのことで「負け犬なんていわせねえよ」って言ったのを聞いたのをときどき思い出してる。

「夕日信仰ヒガシズム」発売以降、仕事以外ではずっと聴いている。寝てるときも流してる。毎朝頭の中流れてる。どれかが。仕事帰り、家事の間。

今、「雨男」が流れてる。

 

「やまない雨はないとか明けない夜はないとか言って明日に希望を託すのはやめた。どしゃぶりの雨の中、ずぶぬれで走っていけるか?」

 

雨降りはだめなのか。夜ばっかりじゃだめなのか。じゃあ雨ばっか降ってる己の人生は、晴れわたってるあいつの人生より低いのか。

雨男はじゃあどうするんだよ、って。

行く場所行く場所雨ふりで、

そいつら「雨男」に、生きてる意味なんかないのか、と。

今はこの歌が回っている。ずっと回っている。

私の行く場所はいつだって雨だ。

だけど、それを憐れみたくないんだ。

晴れ間を待ち焦がれて、今を無駄にしたくないんだ。

雨だってかまわない、目を凝らして、私だけの幸せをつかみたいんだ。

価値観なんかひとつじゃない。

 

amazarashiの力は、こんな風に言葉にしてくれることだ。

言葉にできれば、想いが形に成るから。

形になった想いは、本当に私を救うんだ。

 

秋田ひろむは誰の代弁者でもない、そう自分で叫んでる。

その意味はたぶん、

私の雨には、私が曝されるしかないってことだ。

でもそうやって自分の雨に曝されてる人間は私だけじゃないってことだ。

 

私はおそらく死にたい人間だ。

「死にたい」の通奏低音の中、ときどきノイズみたいに混じりこむ「生きてて楽しい」にしがみついて、だから結局、本当はって訊かれたら反射的に「死にたい」って応えてしまう人間だ。

今だって死にたい。いつだって死にたい。死ねない理由を探して、蜘蛛の糸手繰り寄せるみたいに、

明日バイトだから。

明日学校だから。

明日、なにもないけど。

明後日、そうだ明後日、

そこが限度で、きっとそれ以上先の予定は怖い。

それを「死ねない理由」にしてしまう自分がいるはずだから。

死ねない理由は、人との絆で、それが鎖で、私には苦しくてそして本当の意味での命綱で、

誰の一番でもないくせに、誰かとの細い絆を「鎖」にして、生きてきた。

「ひとりになれたら死ねるのに」

そんな呪詛を、裏返せば、「ひとりじゃないから生きられる」っていう風に裏返す度胸はない。

ひとりじゃないって言うには、私は誰の一番でもなさすぎた。

「君がいるから死ねない」なんて命を託していいほど、私を大事に思う人間は本当はいないんだって知ってたんだどこかで。

それでもその薄い関係性を言い訳にして、死なない言い訳にして、思いとどまる口実にして。死ねない自分の。卑怯な自分の。

 

「明日、バイトだから。

だから、死んだら朝起きられないから。」

 

馬鹿なやつだ。

 

本当は死にたくないくせに。

 

だから手紙を書いた。

私を強く縛り付ける手紙を。

呪いみたいに。

 

どしゃぶりの雨の中

私は

同じどしゃぶりの雨に曝されて泣いてる

バカなあいつに手を差し伸べ続けるって。

いつまでも。

 

 

 

 

三途の河原 素描

 

賽の河原で児どもが何かしている

近づけば石を積んでいる

高く積んだものはいない

こんなにもたくさんの児がいるのに

ひとつ、ふたつ、多くていつつも積めば高い方

どうしたことか

児どもは一心に石を積む

 

鬼が来た

 

児どもは罪を犯した と 鬼が声高に責めたてる

親より先に死んだのだ

貴様の罪は赦されぬ

親に殺された児はことにゆるされぬ

児を殺した母の想いをおもえば おれは涙がとまらぬ と

 

鬼が叫ぶ

 

赦しを乞え

詫びろ

詫びろ

殺された罪をおもいしれ

 

声を嗄らして児は詫びる

 

おかあさんごめんなさい

私を殺させて

ぼくを殺させて

おかあさん

おかあさん

どんなに悲しかったでしょう

ごめんなさいおかあさん

ごめんなさいおかあさん

 

「赦すか馬鹿者」

 

鬼が終にものすごい叫びをあげる

 

怒った鬼

児の積んだ石を蹴り散らす

児のちいさな掌を踏み潰す

血が吹き飛んで ちっぽけな拳はあっけなく砕け散る

 

児は泣きもせず

ああおかあさんあなたはもっと痛かったろうにと叫ぶ

 

児はもう百年、石を暗闇で積んでいる

鬼が一瞬にして蹴散らして

児は永劫

罪を許されぬ

 

誰か殺して遣れ

 

もうあんまり可哀相じゃないか

誰かあれを

もう人の姿をしていないあの児を

 

誰か殺して遣れ。

鏡よ鏡

サルはパックマンで正しく遊ぶらしい。パックマンとはかつて流行したビデオ・ゲームの一種である。しかしサルは鏡を正しく使えるのだろうか?検索してみても判然としない。サルの赤ん坊があかんべえと人間の顔真似をしている写真ばかりである。

サルは鏡を使えるのか?

「他人がどう思おうとかまうな、自分で自分に満足できるのが一番いい」とはよく言われることだ。自分の人生にはじめからおしまいまでつきあうのはひとり自分ばかりなのだから、その通り、自分で自分を好きでいられればそれが十分なのかもしれない。私もかつてはそれが一番で唯一大切なことだと信じて疑わなかった。実際他人の評価をあまり気にしなかったために、いわゆる「アガリ」を経験してこなかった。

しかしどうにも最近よく「アガル」。

人前で長い時間話をするのを生業としているのに、人前に出るのがくるしくてくるしくてどうにもならないことがある。他人にどう思われてもいいじゃないか、とがんばってみても、顔は赤くなる汗はかく、「アガリ症」というのに罹ってしまったようである。

さあ困ったな、とずいぶん悩んだ。そして、まあいいか、と思うようにもなった。

「アガる」サルはいない。いないだろう。サルの世界は自分だけでできているだろう。ネコとそこは変わらないはずだ。ネコなんか今、自分の尻尾を別の生き物だと思って追いかけている。

ヒトはしかし、そうはいかない。

ミラーニューロンというものがあるそうだ。自分が何かする、何かするだけでは終わらずに、自分を見た他人が自分のしたことをどう思うのかを知ろうとする脳神経だという。ヒトはそれを、他人の心を思って行動するために使うのだという。

「君が私を好きになってくれればうれしいと思う」

ヒトだけなんだ、そんな風に思うのは。

他人を見て、自分の命の重さを知る。それがヒトのならいではないだろうか。それをいやしいと感じても、それがヒトの性ではないか。

・・・「おかあさんが、わたしに生きててほしい、っておもってくれる」それがヒトの大地じゃないかと、思う。

私自身が一度でも放り出せば、この生はおしまいだった。それをキャッチしてくれる他人はひとりもいなかった。

私は私をひとり、愛してきた。それが寂しい。

「アガる」ようになってから、人前で話すことが嬉しいと思うようになった。私ではない他人が、私の話を一所懸命に聞いてくれたからだ。やっと、鏡から目をはずせるようになったようにおもう。

 

人間宣言(痛みの時代のお終い)


みんな夢でありました 森田童子 - YouTube

 

骨の奥 
背骨のもっと奥 
からだの いちばん 奥に 
もうひとつ背骨があるようだ、と、整体のせんせいに驚かれた の 

私の 芯 に 
ひどいつよい力が 
生まれたときからずっと今日まではいったままで 
それがもとで 耳が聞こえなくなったり 眼がみえなくなったり 
脚がつめたくなったり してた の 

もう いいよ 、って 
もう、いいよって 
私、はわるくなかった の 

 

私は悪くなかったの

もう いいよ 
こわかったね 
でも  
もう いいよ 
こわかった、こわいね 
でも 
もう いいよ 

 もういいよ

ああ やっと 
こわいまんまの私で 愛されたい 。 

わたしはあいされたい


*** 

 でも 誰か私を  
 誰か 私を 
 さわって、愛しては くれませんか ? 

(「誰か私を」コトリンゴ) 

明日、私はいない。

「死者5000人を達成しました」 
私が住む国は、年度のおしまいにいつもそう誇る。 
今、たった今、私が住んでいる国。 
交通事故で死ぬ人が、年間、5000人を下回るとき、 
日本のエライ人が嬉しそうなんです。 
5000人を目標にしましょうっていうの。 

じゃあ明日、君はもういないかもしれないんじゃないか。 

*** 

ひとり無言で目を瞑る。 

(一瞬で、感情と思考の塊たちが叫びだす。 
(いつも、それに気をとられる。 
(ときには浸入されて侵食されてしまう。 

ひとり無言で目を開く。 

(一瞬で、感情も思考も停止する。 
(私は無 
(私はいつも、ほんとうにはなにも、感じていない。 

ああやっと、静かになった。 
今日はなにを考えようか。 

うん。 

「人は何を人に伝えたいのか」 

ひとつ。 

モノ・ローグ。 
私が私に説明するため。 

ふたつ。 

ダイア・ローグ。 
君が私に説明するため。 


*** 

今日はひとつめのことを考えようか。 

*** 

さて没頭しよう。 
僕は僕の感情の整理のために、 
私は私にものをかたろう。 

さてだから、君はもういい。 
ああだから君はもういなくっていい。 
読まなくっていい。 
もうこの先のお話に、 
君がついて来られなくったって。 

でももしあなたがぼくを好いていてくれるなら。 
そして私の救いに興味があるのなら。 

ねえ、少しだけ。 
意味なんかない僕の無言のおしゃべりにつきあってくれないか。 

*** 

ありがとう。 

(前にすすみたい。 
(大きなモノ・ローグを終息させたい。 

*** 

私は何度も死のうとしました。 

保育園の10月に、お風呂に沈んで、死のうとしました。 
小学校の入学式の日、牛小屋の裏の壁におでこをぶっつけて、死のうとしました。 
中学校の最初の日、放送控室、教頭先生がいなくなってから、彫刻刀を手首に刺して、死のうとしました。 
高校の陸上部の最初の朝練のあと、部室で消火器で頭を殴って、死のうとしました。 
大学が決まった日、中学1年生から溜め込んでいた薬を全部飲んで、死のうとしました。 
去年の夏、自分で首輪をつけた日、ベランダから墜ちて、死のうとしました。 



誰か、私のために泣いてください。 

うそつきはいませんか。 
うそつきはいませんか。 
うそで泣いてくれませんか。 
あなたがわたしの苦しみをわかるなんておもってないんです。 
うそで泣いてほしいんです。 
うそ泣きをしてほしいんです。 
ほんとうにはわからなくっていいんです。 
かわいそうね、かわいそうね、って泣いてほしいんです。 

わたしに安っぽい同情をください。 

*** 

私は、やり直したい、と切望して、 
やり直すために逃げようと、自殺をしようとした。 
ほんとは、やり直すことはできないって思って。 

     「まだ、なにもはじまってねえよ・・・」 

*** 

モノ・ローグ。 

*** 

私を世界につないでくれた手が温かかった。 

生きろ 
生きろ 
生きろ 

と、 
孤絶の果ての愛を持つ人が百回も言った。 
百回、私はその手を切りつけ叩き、焼いた。 

痛みを誰より知る人が、ただ、待って。 

まちがいつづける私は、また何度まちがうだろう。 
それでも今祈るのは、私が伝えられる優しさの確率。 


*** 

ハロー。 
間に合いますか。 

まにあいますように。 
あなたが今夜、生きていますように。 

***