「食べる」
先日、「八日目の蝉」という作品を、映像作品として、観た。
ドラマ版もあったらしいが、映画バージョンを。
そこで、最も激しく私の感情を揺すったのが、永作演じる「誘拐犯」の叫びだった。
「その子は、まだ夕飯を食べていません!」
究極まで張り詰めた母性の叫びとして、これほどの言葉があるだろうか。
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宮崎作品は、好むと好まざるとに関わらず
我々日本人にとって、特別な存在である。
私は、宮崎作品からは、全体を通してメッセージを受け取ることが少ない。
それよりも、あるひとつの科白、あるひとつの景色、そういったもの。
そこから強烈に感じるものがある。
「千と千尋の神隠し」という作品においても、やはりそう。
ハク、と呼ばれる少年が、ヒロインにおむすびを渡しながら、このような科白をいう。
「この世界のものを食べなければ、君は消えてしまう」
当時、精神の闇の中をさまよってものを食べず
痩せこけて死に掛けていた私に、これほど突き刺さる言葉はなかった。
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食べる、ということ。
12歳で拒食症を発症してから17年間の間、波の上下はあれど、
「普通に食べる」ことが困難であるまま、生きてきた。
「食べる」ことに、意味づけをしなければ、という強迫観念。
もっと言おう。
「食べる言い訳をしなくては」と、食行動に強烈な罪悪感を抱いてきた。
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先の「八日目の蝉」は、母性を描いた作品だ。
何度も意識を失ってはまた巻き戻して見直し、なんとか観終わっても、
実は大半を覚えていない。
教育学ではじめに学ぶ、「食べ物では安心しないサルが、毛布に安心する」という実験がある。母親は、子を食べさせることよりむしろ、抱きしめてやることが肝要である、という。
しかし、食べなければ子は死ぬ。抱きしめる前に乳を与えればいいのに。
そう思って講義を受けていた学生が私である。
死、というものを、我々がまず身近に恐怖するのは、
「寒さ」と、「飢え」である。
Mの母親(私にとっても母親)は、その勘どころを、驚くほど巧みに利用したな、と感動をする。
(Mの母親に関しては、呼び名を含め、後述する予定)
「寒さ」については、改める。
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「飢え」について。
まず、私の食事は、レンジ解凍した白米だった。
Mの母親は、月に1,2度、米を研いで炊き、冷凍庫に保存した。
一個が茶碗にかるく一杯分。
それを、私はレンジで解凍し、多くはそのままか水をかけてゆるめ、ときどき醤油をこっそり卓上からかけて、立ったまま食べた。
何事もなければ、1日に1食、夕方に、そうやって食事を許された。
ただし、許可制だった。
Mの母親が店舗から居間にきたときを見計らって、
「ごはんをチンしていいですか」
と、ちゃんと気をつけをして、はきはきと言うこと。
大抵は「いいよ」と言ってもらえるので、日常的には儀式のようなものだったが、
少しでもMの母親の機嫌を損ねたり、あるいは私と関係のないところで彼女が立腹したりすると、
彼女は私に「だめ!」といい、ついでに「醤油盗ったの知ってるんだからね、どろぼうだよ、どろぼう!」と、何日前のことでも怒鳴り、どれだけ自分が立腹しているかを言い募り、どんどん激昂してゆき、最終的には掃除機で殴打を繰り返した。
殴打されて腹部や口腔内から出血すると、不思議と「飢え」は治まった。
出血や怪我が軽度の状態で解放されると、何故か余計に空腹を感じた。
そのまま彼女は私を置いて呑みに出かけるのだが、店舗が休日の前夜だったりすると、そのまま翌々日の朝まで帰宅せず、私は何も食べられないまま過ごした。
不思議と、彼女の目を盗んでご飯を解凍する、ということは思いつかなかった。
(銀行強盗をしようと思わないのと同じだ)
「食べさせていただいていること」は、文字通り、命がけだった。
彼女は、「食」という急所を、無意識であれ自在にコントロールし、私を彼女の意のままにできる、という安心感をもったのだろう。
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小学校3年生時の身体測定の記録が手元にある。
身長131cm 体重12kg
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当時、ときどき実家で宴会が催された。
(もちろん、その宴会の種類や、その夜のことは別の話になる)
宴会の後、食器を下げたり、洗ったり、は、宴会に参加する若い女性と、私の仕事だった。
食器に残った大量の食べ物を口にすることは「こじき」といわれ、絶対にしなかった。
ただ、唯一、カレーが振舞われるとき。
カレーが付着した小皿を、一枚だけ必死で隠した。(もちろん、できないこともあった)
翌日の夕方、ごはんの許可をもらったあと、その小皿をカーテンの裏から出して、そこに解凍した白飯を出し、カレーの匂いをつけて食べた。
それが、本当に、美味しかった。
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実情を知ってか知らずか、実父は、ときどき現れ、私を飾って、外に連れ出した。
当時、県内一の規模の土建企業を7社運営していた彼は、
私を都内や海外の一流レストランやホテルに連れていき、
テーブルマナーを徹底的に教えた。
彼は厳格であり、しかし、私の命に責任をもとうと考えてくれていた、とおもう。
彼は私にとって無条件で絶対の規律であり、憲法だった。
厳しく叱る父であり、しかし許して次の機会を与える父だった。
彼が、もっとも重視したのが「品位」だった。
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絶対的存在である彼に、酷く叱責された場面が鮮烈に記憶されている。
父に連れられていったデパートのレストランのショーウィンドウに並んだ、
クリームソーダの見本を、ぼうっと見ていた。
突如、彼は強く私の腕を引き、私はその場で転んだ。
「ものほしげに食べ物の見本なんかみるんじゃない!」
「あさましい!」
その一言は、私を撃ち貫いた。
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「食べる」ことは、尊いことだ、
そう思う。
罪深いことだ、
そうも思う。
しかし何より、
「あさましいことだ」
私は、そう、根底では、思っている。
食べるとは、下品なことだ。
そう思っている。どうしようもなく。
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親が、子を、食わせる。
親が、子に、食わせない。
子は、親に、餌をねだる。
必死で、ねだる。
自ら飛べないことを謝罪しながら、ねだる。
「生まれたはじめから餌を捕ってこられない、私が悪い」
子どもが子どもであることは、それだけで死に値するのか?
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長くなった。
しかし、書き留めておくべき散文。
ただの、メモ。