夜のこどもたちは夢をみる

子どもに眠りを 大人に愛を

鎖 Ⅰ

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父母の生い立ちを、少しずつ語ってみる。

 

父親は、戦中の上州に生を享けた。

父の誕生した頃、彼の父は大陸に出征しており、体の弱い母と祖母が、主に彼を育てた。

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彼の母は、貧しい家に生まれ、9歳で奉公という名の身売りにだされた。何人かいた兄弟姉妹は、その際に散り散りになり、今も行方はしれない。

女工を酷使したことで有名な製糸工場で、寝食も碌に許されぬ奉公の果てに心臓を壊した彼女は、地元の名家の子息に見初められ、結婚する。

第一子は虚弱児として生まれ、幼くして亡くなった。

第二子は夫の出征中に生まれ、終戦とともに帰国した夫との間に、第三子を授かった。

第三子が生まれた頃、夫は胃癌で鬼籍に入った。享年28。

夫が逝くのと同時に、夫の兄夫婦が子どもを連れて押しかけてきた。

彼女は、壊れた心臓と5歳の子、そして生まれたての乳呑児を抱えて、母屋の裏に建てられた物置部屋に追いやられた。

ほどなくして彼女は倒れ、歩くこともままならぬ体となる。

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幼かった父は、自分がひとりで寝たきりの母親と乳幼児とを守らなくてはならぬ、と強烈に自覚した、という。

生活保護を受けたが、敗戦後間もない国に、十分な福祉など望むべくもない。

米農家、酪農家、畑作農家、5歳から15歳まで、彼は働いた。

唯一、母親のほどこす「読み方」「書き方」だけを楽しみに、それを栄養として働き続けた。

母屋にうっかり顔を出せば、「汚ぇ!」「臭い!」と蹴られた。

しかし、従兄の持っていた本や教科書をお下がりとしてもらうため、仕事の合間に眠る代わりに、文字の世界、文学、学問の世界で癒されるために、罵倒や暴力に耐え、彼は時折母屋へ従兄に会いに行った。

学問の世界だけが、彼を救ってくれた。

 

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彼が10歳になるかならないかの頃、母親が酷く具合を崩した時期があった。

普段なら自分の下着だけは自分で洗濯していた母親の下着を、当然のように川で洗った。

下着を水につけた瞬間、真っ赤な水が出た。

女性の月のもののことなど知らない彼は、「母ちゃんが死んじゃう」と泣いた。

泣きながら、経血を洗い流した。

 

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父は、15で、電機機器工場に就職した。

いくらでもある残業を進んでいくらでもとり、鯨油まみれで巨大なタンクを磨いた。

そうして稼いだ給金のほとんどが、母親の薬代になった。

それでも、給料日には、雑貨屋で林檎をひとつ買った。

一口、それを齧ることだけが、彼の楽しみだった。

 

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以下、父の原文。

 

18歳になっていた私は、この時になって初めて相手の正体をまじまじと見た。
十数年間の母の敵、病魔の姿を正面から見据えた瞬間、言いようのない怒り、このまま負けてなるかという闘争心がムラムラと沸いてきた。
 
一晩中、わずかに残された体力で抗い続けた母は、明け方ついに力尽きた。
昨日から駆けつけているわずかな近親者と親切にしてくれた近所のおばさん、祖母と私と弟、長年往診してくれた医師と顔なじみの看護婦。
臨終のお膳立ては整っていた。消耗し尽くした病人が息を引き取る間際は、月齢と関係し、潮の満ち干と関係する。その朝はすべてが整っていた。
 
未明に意識を失っていた母は、時折思い出したように苦しい息の下で「ううっ、」と微かにうめいた。
「ご臨終です。」
このときを予期していたように、一斉に泣き声が起きた。
「おりうちゃん!」
近所のおばちゃんが最初に抱きついた。
医師が脈をとっていた手を放し、首に下げていた聴診器を胸に当ててから、黒いカバンから注射器の入ったステンレスの箱を取り出した。心得た看護婦が手渡された注射器をゴムの蓋をした薬の瓶に突き刺した。
「ちょっと、待ってください。その薬は何ですか」
「えっ、これかい、これは・・・・。一応・・・亡くなった人が・・・・」
・・・・腐らないようにとは言えなかったのだろう。
 
「カンフルをお願いします」
「えっ、カンフルって、もう手遅れだよ、脈はないんだから、」
「助けます。助けるんだよ!ただ死ぬんを待ってただけじゃないか!そんなんは医者じゃない!ベストを尽くせ!」
「カンフルは高いよ」
「バカ野郎!こんな時にまで金勘定か、いくら掛かったっていいから、やれ!一生かけても返してやる」
医師は私の剣幕に気圧されたように注射器を置いた。周囲が泣き止んだ。予想外の展開だったようだ。
「カンフル、用意してあるんだろう」
「いえ、先生がいらないって・・・」
「バカ、カンフルくらい、要らないって言われても持ち歩け!」
医師は明らかに狼狽していた。
「取りに行ってくるが、それまでは誰も手を触れねえで、このまんまにしておけよ」
医師は看護婦に言い置いてあたふたと出て行った。
「死ぬのを黙って待ってるわけにゃいかねぇんだよ」
私は反応しなくなった母を抱き起こした。
「かあちゃん!死ぬな!死んじゃ駄目だ!」
 
私が抱き上げたのは、軽くなったただの骨だった。
 
「死ぬな!」
私は冷たくなっている背中を後ろから抱きしめた。息はなかった。恐る恐る脈を診た。反応はなかった。医師も脈が停止したのを聴診器まで使って確かめていた。
「死んじゃ駄目だ!」
私は、耳に口をつけて怒鳴った。固く閉じて乾いた唇をこじ開けて思い切り息を吹き込んだ。
抱きかかえたまま、右手で心臓のあたりを押した。
万一、心臓が止まったら・・・・怯えながら、もしもの時と考えて、救急医療の知識は頭一杯に詰め込んでいた。
息を吹き込み、心臓を押す動作を数回繰り返したとき、
「うう、」微かなうめき声が漏れた。
「母ちゃん、分かるか、死ぬな、死んじゃだめだ!」
耳に吹き込むようにして叫んだ。
「頑張れ!」
周りの誰かが叫んだ。
やがて、母の目が開いた。
「・・・苦しいで」
「うん、うん、楽にしてやるから、俺と一緒に息をするんだよ、」
私は、母の耳に大きく、ゆっくりと息を吹き込み、「ほーっ」と吐き出した。
「分かるかい、一緒にするんだよ、苦しくっても、少しの我慢だよ、ゆっくりだよ、ゆっくり」
激しく吸って吐いてを繰り返している呼吸を整えなければ酸素は肺まで届かないことを知っていた。
握っていた手首に弱々しい脈が戻ってきた。
医師が戻ってきた。臨終と宣言した病人は、明らかに呼吸をしていた。
慌てた医師は、「助かっちまったんか」と言った。
「バカ野郎、病人を助けるのが医者だろう!助かっちまったとは何だ!藪医者め!」
私は母の病魔と戦っていた。息を吹き返してから一時間が経過した。私と呼吸を合わせていた母は、子どものように私に抱かれたまま眠っていた。
「入院させられるかも知れねえな」
医師が惚けたように言った。
「すぐ手配してくれ」
私が優位に立っていた。
救急車が来た。朝の光の中を私は軽い母を抱いたまま、救急車に乗った。
「勝った。俺は病魔と闘って勝った。」
母を抱きながら涙が止まらなかった。

 

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父の母は、この後半年を、大きな病院で、清潔なベッドで過ごし、父に小遣いをねだるまで回復した。

そして、40歳で、亡くなった。