発症 1
手元に地元の大学病院から貰ってきた診断書と、そして旧いカルテがある。
1996年に記録されたカルテは、黄ばんだ紙にパンチングされてある。
電子カルテに切り替えられてからは、最長5年で、大抵のカルテはdeleteされてしまう。
このカルテは、旧時代の遺物。
院内を、筒が飛び交っていた、ハイテクを模したアナクロなあの頃の。
問い合わせたとき、3つの科に、私の名前のカルテが見つかった。
精神・神経科。
皮膚科。
産科・婦人科。
それが私の、厳密にいえば初診ではないにせよ、
今に繋がる永い闘いの始まりだったのだ。
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はじまりは、12歳。
小学校最後の年に、
私は、妊娠した。
そして腹に宿った「それ」とともに、私の魂は死んだ。
死んだ体は、生きることを拒絶した。
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(この話をする前に、記録すべき事柄が多すぎる。
それを書かずにこれを書いて、私は、このブログまでもが混乱することを恐れる。
しかし、少なくとも、これが私の客観的な「発病」なのだ。)
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11歳最後の11月に、私は最後のイギリス滞在をしていた。
12月に父親が渡英し、年末を彼と共にロシアで過ごした。
そこで、極寒のモスクワにも関わらず、発熱したように体が火照る日が続いた。
よく覚えている。
赤の広場のはずれでホットドッグを齧り、クレムリンに入るところでカメラのフィルムを買い、
トイレに行くと、下着に鮮血が滲んでいた。
初潮を、私はクレムリン宮殿で迎えた。
動転すべきところで冷静になる、元来がそういう子どもだったけれど、
その鮮血の記憶を焼き付けた後、暫く記憶が欠落している。
今思えば、それは別の意識状態への明確なスイッチングだったのだろう。
しかしそれは瑣末なこと。
その後、ロシアを年始3日に発ち、一端ロンドンに帰り、そのままフランスに行った。
父親が日本に帰国し、私はそのままイギリスでの預けられ先で2ヶ月を過ごし、
3月に帰国した。
その間、凡そ4ヶ月。
私は、日々、経血を隠れて処理しつづけた。
恐怖でしかなかった。
何が怖かったのか、わからないけれど。
女になったら、自分が「かれら」に何をされるのか。
子どもだったから許されていた全ての惨い仕打ちを、
今度こそ容赦なく受けるはずだ。
彼らの常套句、
「ママが同じ思いするよ」
「ママはオトナのオンナノヒトだから、これじゃすまないよ」。
ならば。
この体が、「ママとオナジ オトナノオンナ ニ ナッタラ」?
怖かった。
そして、日本に帰った後の2度か3度めの月経のときも、
箪笥の奥や、机の抽斗に、汚れた下着やナプキンを押し込んで、夜明けを待ってはゴミ捨て場に走った。
幸い、その間、母親が自宅で宴会をもつことはなかった。
2度か3度(つまりは6月か)になるまでは、偶然にも、生理中に「そういった暴力」が重なることはなかった。
そして、7月か8月の、生理。
酷い熱帯夜。
悪臭を感じて、夜明けを待てずに、こっそりナプキンを抱え込んで、外にでたところを、母親におさえられた。
まず酷く蹴り倒された。
その後は、ぼうっとしている。
顔が、唇の血と鼻血と、それではない獣くさい「血」にまみれていた。
ナプキンを口に突っ込まれて、玄関の消火器で殴られた。
何か、凄まじく彼女は怒っていた。
とにかく、「わるいことをした」。
それは、叩き込まれた。文字通り。
何が悪かったのか。
かくしていたこと、と思わなかった。
おんなになったこと、だとおもう。
母親も、なんだかそれを酷く、怒っていた。
食べたい、眠い、という欲求が「あさましい」のならば、
もうひとつの、もっとも「あさましい」欲望が、
その象徴が、「これ」なのだ、と。
獣くさかった。
己の腹から出た血が、これほど臭い。
己は、やはり臭いのだ。
悪臭が、己からは、しているのだ。
腐っているのだ。
そう、身の底から、知った。
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その後も、やはり、隠し続けた。
母親には、生理はとまっちゃった、と嘘をついた。
そして、一度隠した月の次から、本当に生理はなくなった。
「ああ。よかった」
隠し続ければ「なかったことになるのだ」。
私はぼんやりと、そう受け入れた。
生理すら、私は止められるのだ。
私は、私の浅ましさを、コントロールできるのだ。
12歳の冬。
私は、どうやら妊娠していたらしい。
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とまった生理のことを、母親が大騒ぎをした。
あんた、肥ったのに!
158センチで48キロ、という体は、確かにそれまでにない、異常な「肥満」と感じた。
重かった。
肥ったから、生理がきた。
学校でも、「体脂肪が30パーセントを超えたら生理になる」といううわさがあった。
肥ったから生理がきたのだから
痩せれば
いいのか。
そう思っていた。けれど、
思っていた、だけで。
私は、やせていなかった。
12歳の、冬。
美容院のスタッフに、婦人科に連れて行かれ、
私の妊娠を、母親でなく、美容院のスタッフが告げられていた。
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そしてその夜、男たちがきた。
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大変な儀式だった。
白くなって昏倒するまで、頭を殴られた。
ぼんやりしながら、腹を踏まれていた。
大変な儀式だった。
階段の一番上に、長かったポニーテイルを引きずっていかれ、
頭の皮が、痛かった。
大変な儀式。
階段から、足を持って、引き摺り下ろされた、一番下の床まで。
何度も。
蹴られた。
階段を上がってくる男。
笑っている男。
真剣なおじさん。
蹴られて、蹴られて、蹴られているうち、
急に、下痢をするときのような痛みが差し込んだ。
トイレか、トイレか、と、皆、嬉しそう。
なんだか嬉しいことなのか、と、
トイレに駆け込み、
ざざざっと、大量の血を排出した。
どこから出たのか、わからない。
どろどろしていた。
不快感や痛みはない。
「すっきりした」
と、おもった。
ぼうっとしていたのだ。
言い訳にすぎない。
鼻の奥が、火薬臭かった。
脳がかきまわされた気がした。
言い訳に過ぎない。
私は、水洗トイレのレバーをおろし、
下ろした瞬間、
「知っていた」。
私が今流すのが赤ちゃんだということを。
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ホワイトアウト。
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私は電気ポットの湯を全部下半身に被った。
その日から、水以外を一切、口にしなくなった。
痩せれば、生理がなくなる。
生理がなくなれば、人殺しをしなくていい。
いや。
私が生理を一人前の人間として起こす権利はない。
ひとごろし。
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158cm
25kg
入院時体重。
障害名は「摂食障害」
「重度の拒食症」
私が人間をやめた理由。