夜のこどもたちは夢をみる

子どもに眠りを 大人に愛を

呼吸に注意。

主治医に数年勧められてきた本がある。 

「マインドフルネス ストレス低減法」 
J・カバット・ジン 

である。 

「君を楽にするのは、呼吸しかない」 
「今現在の感覚をありのままに見つめるんだ」 
「人は自然に生きる。君も自然に現実を生きることができる」 

それらの言葉を、低調なとき、あるいは死にとりつかれているとき、 
長いあいだ、5年以上、主治医は教えようとしてくださっていた。 

しかし、ずっと聞き流して、あるいは意識的に、読まず、 
また指示通りに行わなかった。 

ひとつには、「呼吸法」 「瞑想」 「意識の向け方」 という語彙が私に与える胡散臭さ。 
ひとつには、そんな気休めで、考え方ひとつで救われるほど甘くない、というシニシズム。 

そして、現実の痛みに正面から取り組むことへの漠然とした恐怖、不安。 

しかし、さまざまな要素が重なり、さまざまな助けが及び、 
そして「マインドフルネス」を実践するために、実践書たる冒頭の本を読み、 

今日は実践2日目である。 

*** 

「何もしない」のである。 
でも、「何もしない」なんてできない、と知る。 
マインドフルネス=注意集中は、何に注意を集中するかといえば、 
呼吸。 
吐き、吸う。 
それをただ、観察せよ、という。 

それが、難しい。 

息を吐く。 

その間にも思いは忙しく迷走せんとする。 
「こうすればよかった」「ああならよかった」、と過去へ。大なり小なりの雑念。今、じゃない。 

そのことに気づいて呼吸に注意を戻す。 

息を吸う。 

するとまたもや意識がさ迷い出る。 
「これからあれをしよう」「今日これもしなければ」、と未来へ。大なり小なりの雑念。今、じゃない。 

そのことに気づいて呼吸に注意を戻す。 

難しい。 
でも、それでいいのだ、という。 
雑念でいい。 
彷徨う、それでいい。 

彷徨う意識を自覚し、しかるのちに呼吸にまた集中すればいい。 

その迷い、そのままを見る。 
ただ見る。そのまま見る。 

痛み。「ああ、腰が痛い」。痛いのね。そう。見る。 
こわばり。「ああ、肩が緊張している」。うん、緊張してるね。そう。見る。 

押さえ込まない。 
いい。 
痛いんだ。 
緊張してるんだ。 
そう。 
どうしようともしない。 
見る。見てるだけに徹する。 
意識を集中するのは、呼吸。 
それ以外は、ただ見てる。 

感覚する。 
ありのまま。 
それを肯定する。 
いいんだ。と。 
良いか悪いか知らない。どうでもいい。 
そこに痛みはあり、そこに怖さはある。 
それをそのまま、受け入れる。 
痛いんだね。 
怖いんだね。 
以上。 

なかなか難しい。 
それに意識を取られて、他者を気遣えていない、と不安になる。 
不安になる。不安。そんな風に不安になっている、と、「見る」。 

さっきまで(過去)、気遣えてなかった。 
そういう事実がある。 
それだけ、それ以上も以下もない。 
で、今、気遣う。 
それでいい。 

*** 

今、を受け入れる。瞬間、瞬間の思いを、痛みを。 
それが、重なって、人生になる。 
死ぬとき振り返れば、「自分を肯定してきた人生」となっている、そういう結果があるかもしれない。それはなんだか楽しみだ。 

**

 

マインドフルネスストレス低減法

マインドフルネスストレス低減法