夜のこどもたちは夢をみる

子どもに眠りを 大人に愛を

鎖 Ⅱ


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私は、この手を離そうとしている。

私は、この手を離してはいけない。

 

私は、汚れている。

私は、私を汚しているものたちを明るみに出す。

私は、彼らを殺す。

 

私は、この手を離したくない。

 

***

 

私は、主治医いわく「古典的で典型的な」被虐待児症候群をもっている。

 

***

 

私は、母子家庭に育った。

母の話をすることは、自然と、私自身の深淵を覗き込むことになる。

一度にすべてをつづることはできない。

深淵を覗き込みすぎるな、と、ニーチェも教えている。

 

***

 

 

私の母の来歴を、私はあまり知らない。

17歳のときに交通事故で父親を亡くし、32歳で美容院を開業し、33歳で私を産んだ。5人兄妹の4番目で、長女(母親の姉)は3歳にして小児がんで死んでいて、だから事実上ひとりきり女性で、だからひとりだけ虐待を受けなかった。

母親の死んだ父親(私の祖父にあたる)は肉体的虐待をする人だった。

母親の兄たちは全員肉体的虐待を受けて育った。井戸につるして木刀で気絶するまで殴る、というようなものが多かった。母親の母親(私の祖母)も暴力を受けていたそうだが、母親に聞いた話ではなく、祖母も一度も語らなかった。母親の弟に聞いた話だ。

母親は30歳頃に私の父親に出会った。暴力団関係の経営するスナックで働いていて、性風俗に落とされるところを拾われたのだそうだ。彼は結婚していたので、母親と不倫関係を結んだ。彼は大手ゼネコンから独立した土木関係の企業をいくつか経営していたため、金銭的にも余裕があった。母親を夜の仕事から抜けさせ、美容師の資格を取らせ、小さな美容院を持たせた。

妊娠が発覚したとき、彼女はスナック時代に出会った暴力団関係の男性と恋愛関係にあったが、人工中絶には間に合わなかったし、なくなく産まざるをえなかった。24時間近い難産で、父親も恋人も付き添わない孤独な出産だった。何度も子供を殺してくれと産婦人科医に言ったがとりあってもらえなかったのだ、と彼女はよく娘に愚痴をこぼした。

娘とは私だ。

彼女は娘を愛せなかったのだ、と、私が彼女の元を完全に去るまで、言い続けていた。ごめんね、と。どうしても無理だったのだ、と。

しかし、彼女を愛した人間も、きっといなかったのだろう。

彼女は金銭に執着した。アルコールやギャンブル、カルトに依存していたため、美容院の収入や、父親の毎月の養育費ではとても足りず、娘を売った。

都内某所、今は電気街とアニメの聖地になっている場所に本社を構えていた児童ポルノショップがある。今もある。そこは、母親の恋人の所属する暴力団組織と関係があった。

私は、幼稚園にほとんど通っていなかった。都内にいることが多かった。

母親は私をポルノに売り、私はそれを当たり前に受け入れた。

生まれるとき、殺されなかった。母親が必死に働いて得るお金を私に使っている。私は稼げない。

私は都内のポルノショップで稼いでいる、という発想はなかった。お金が対価になっていることは知らなかった。

母親が娘を意識して売った相手は、ポルノショップだけ。

ポルノショップで行われたことはまだ書かない。

ポルノショップで働く子供を性的搾取していい、と、母親の恋人は思ったのかもしれない。いや、そうではなく、私がなんらかの雰囲気をもっていたのかもしれない。

娘は母親の恋人に性的搾取を受けた。母親の飲み友達は複数いて、彼らはよく娘を性的に搾取した。

母親に惚れていたらしい、母親の恋人の友人がいた。大阪から北関東に越してきていた彼の一家に、私は長い間、夜母親が飲みに行く間、ときどき預けられていた。0歳から14歳まで、さまざまな家庭に私は預けられたが、彼の一家は特殊だったのか、よく記憶している。

母親の恋人の友人、その妻、その子供は3人。30近い兄二人に20前の妹。兄のうちひとりは激しい虐待のために聴覚を失っていた。彼は2度結婚し、離婚した。2度目の妻との間に娘をもうけ、食事をさせずに死なせた。死んだ子供のかわりに人形がいて、

私の仕事はその人形に食事をそなえることで、それはなんだか怖かった。

母親の恋人の友人、その息子2人は、私を性的に搾取した。そのことそのものより、小学校低学年から始まった「それ」が、その家のダイニングで、オープンにおこなわれたことは、私を深く傷つけたようだ。その家で飼われていたスタンダード・プードルの性的処理をさせられたことも、彼らに殺された真っ白な猫の死体も。

 

私は、ときどき関西地方出身だと誤解される。

疲れていたり、薬を過ぎた量飲んだりして、気が緩むと、関西訛になるからだ。

 

そのことが、私にとって、悲しい。