夜のこどもたちは夢をみる

子どもに眠りを 大人に愛を

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 私なんか死ねばいいと何回思っているんだろう。

今日のことだ。

体がうまく動かない。

それを「優しい」「おだやか」といわれ

そうじゃなくて早く帰って横になりたいと願いつつ

帰ったら帰ったで一晩かかりの煮込みを仕込んだりしている。

私なんか死ねばいい、を予測変換してくれる機能はすごいな、とおもう。

「周囲の安穏と生きている子供がばかばかしかった」

と一番尊敬している人は言う。

けど、私にも君がそうじゃなかったようにはあまりみえなくて

それはたとえば

玄関のドアを開けたらまず親の機嫌を伺わなくてはいけないとか

ときどきやってくる男が「そういう趣味」かどうかを伺わなきゃいけないとか

もっとときどきやってくる父の機嫌をじっと観察しなくてはいけないとか

そういうのがないという意味で。

 

amazarashiの「自虐家のアリー」に刺激を受けて、一篇中編を書いて応募してみた。

歌詞がまんま、だとおもう。

 

安穏と生きている子供ばかりじゃないんだ。

でも、安穏と生きている子供を、私はうらやましいとも思わなかった。

たとえ学業やスポーツで秀でていようとも、

どこかしらで彼らから嘲られていると感じていた。

仲間に入りたいと願った。

どうすれば彼らの仲間になれるのかと。

本当に友達がいなかった。

皆/私の壁はあまりにあつくて

それ以上に皆はあまりに高く遠い場所にいた。

それをごまかすように、成績とスポーツと生徒会を頑張った。

オトナには私がゆーとーせーにみえただろう。

でも結局化けの皮がはがれた。

誰も私を対等になんて愛してくれない。

誰も。

誰一人。

愛しても、それは皮だけ。

表面で娼婦を演じる私を。

そうしてそれを試してためして、

私はやっぱりねと引きちぎる。

最悪だと思う。

安穏な子供が一番いいのですよ。

だってそう言ってるあなたも十分安穏な子供です。

そう言いたくてたまらない。

わからない。きっとみんなそれなりのエーテルのゆがんだ符牒をもって

でもそのエーテルは誰にも伝わらず

 

だからわたしたちは永遠に孤独だ。

 

 

季節は次々死んでいく

季節は次々死んでいく

 

 

 

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