夜のこどもたちは夢をみる

子どもに眠りを 大人に愛を

サービスステージ

4年。いや、3年。

日常的に搾取される日々から脱して、3年だ。

少しずつ、重篤化していた精神疾患も全体像を見せ始めた。

少なくとも、「今、何が問題なのか」がわかるようになってきた。

主治医が言うように、3年前までは、「いつ」「誰にとって」「何が」「どのように」問題なのか、が、ばらばらにたくさんあった。生活自体もいくつもあったし、症状も意識状態によってかなりばらばらで、ばらばらなのに絡み合っていて、「何が問題なのか」が全くわからなくなっていた。

でも、今は生活が1本化し、また徹底的になんでも相対化して分析する知性と一緒に暮らすようになり、その思考回路や思考の組み立て方を学び、確実に今何が問題なのか、を常に把握していられるようになった。

少しずつだが、治療に手を付けられるようになった。

体の治療も、問題になったはじから進められるようになった。

病院に行くことを長い間固く禁じられていた(厳しい罰があった)恐怖がしつこく残っていたことや、病気やケガはどのようなものであれ自分に責任があるのにお金がかかり医者の手間をかけることへの強い罪悪感があったことなどが枷になって、去年くらいまではなかなか病院に行くこと自体ができなかった。

でもそんな枷も少しずつ外れた。

今、いくつかの後遺症が見つかっている。

例えば耳。特に左が聞こえにくく、両方鼓膜が異常だとわかった。

3,4歳の頃に中耳炎を放置されて顔面麻痺になり、寺の和尚様に耳鼻科に連れていかれて手術を受けたのだが、その放置が一因だということだ。また、両方何度も鼓膜が破れているので、それも多分。

例えば肋骨を含む何か所かの骨は、何度も複雑に折れたままくっついている。

これが神経を圧迫しているので、発作的に痛む。

例えばいくつかの内臓は、内部に傷がついたりいろんな感染症、炎症を起こしたりしたため、破裂、癒着している可能性があり、現在精検中だ。ガン検査も、完全な正常値ではなかった(経過観察中)。

いや、別に恨んだりはしていない。

まさか自分がこんなに長く生きるとは思わなかった、というか先のことなんか全然気にしていなかった私の見通しの甘さだ。

この年になって、長生きしたいとか健康になって働きたいと思うなんて予想していなかった。

予想外の延長時間をいただいた。だから立て直そうとしている。立て直すにあたって、やっぱり健康じゃない体、後遺症でうまく機能しない体に時々いらだつ。

何を目標に生きるかなんて考えてこなかった。

自分はもっと早く死ぬんだとなんとなく思っていた。

今更準備して、何ができるだろう。刹那的に人生をやり過ごしてきた私に。

軌道に乗ったらタイムアップかもしれない。

でもきっとそんな風に考えている時間はもうないんだと思う。

「青の時間はとっくに過ぎたのだ」

何ができるだろう、と、でもやっぱりすごく焦るのだ。