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「過去」
「未来」
それを区別する。
(現在、は幻想だから)
「過去」がどうやっても変えられない。
だから、「未来」を見て生きる。
そのことはどうやら正しそうだ。
むかし、「過去」を区切りなさい、といわれて
それは「過去」なんかどうでもいいのだ、といわれたような気がした。
あの苦しみ、痛み、悲しみ、寒さ、くらさ、恐ろしさ。
そういうもの、――現在を侵食すらしてくる過去のものもの――
それらを、「忘れろ」と。
そういわれた気がした。
そして私は悲しかった。
でも今はそうではないと知っている。解る。
「過去」「未来」
その二つは明確に異なるものなのだ。
「過去を活かそう」とか
「過去の苦痛を乗り越えて」とか
そういう風に、つなげていくことは、どうやら違う。
今、とは、過去の延長であるけれど
同時に、未来そのものでもある。
過去が黒く淀んだ私は、ならば、「今」を「過去の延長」とすることはよそう。
今、それは未来そのもの。
けれど。
過去はどうしようもなく、ならば昇華せよ、と
クリアしてみせよ、と
否
救済してくれ、と。
そうせがむ。
乞う。
だから。
私は、未来を描き、著し、そして語り続けながら、
ここでひっそりと、過去を語ろう。
今まで語ることがなかったのは、今に繋げてきたためだ。
いまや私とは区切られた過去、それはおそらく遺骨のようなもの。
足の小指、喉の3つ目の骨。
小さなそれらを、私は拾おう。
ひっそりと。
もう必要ではない、それらのカルシウムの破片を。