夜のこどもたちは夢をみる

子どもに眠りを 大人に愛を

端書

探そううとしていたものはなんだっただろうか。
したいことは案外はっきりいつでも言える子どもだったな。自分の進むべき道を躊躇なく指すことだけはいっちょまえだった。

それで?そのあとは?何がしたいの? どうだったっけな。
それで?そのあとは?それで?そのあとは?
まあでもいずれにせよ、そういう設計だけはやっぱりうまくやっていた。
間違ったことはなかった、
・・・失敗だらけだった。
失敗するたびに綻びを直して、また一歩後ろに下がって、失敗しないようにして、失敗が増えていった。やがて失敗しかしないようになった。
そして理想と現実との溝は日に日に広がっていく。

手付かずの夢は見も知らぬ現実に繕われてどこかの誰かの夢物語になっていく。

これでいいのか?そんな自問は、まるで普通の人間みたいでいい気分だ。
ただただ身を起こすことができない。
そのために必要ならば、今はもうなんだって棄てるのに。
鉛の肉体、こいつは引き上げるとしても重過ぎる。


<死ぬってどういうこと? >


死ぬってどういうこと?
子供の青臭い詰問に、そうしてじりじりと追い詰められていく。
応答次第で首でもくくるのか。
生きる意味なんてあるの?
ねえ、どうして死ぬなって言うの?

そんなこと私に訊かないでくれ、と叫ぶ不眠の朝に、
しかし鬼の形相で縋り付く掌を誰が払いのけられるっていうんだ。

生も死も境界は曖昧だ。
考えればおそろしい。しかし考えさえしなければ、存在すらしないのだ。
まあそれでも、生まれてすぐに死んだよりは、自分以外にも私の死に泣く人間が増えているだろう。
死にたい、と生きたい、は似ている。
この幻を見続けたいのか、
いやそれとも、別の幻を見たいのか。
いずれ、どうせ幻だ。
好きにすれば良い。
生きてるうちは死ねない。
死んだら、生き返れない。

それだけの違いだ。

罰を探す。
無意識にすることはそれ。
それを本気で追い求めるほどじゃない。
それでも私があきらめたものは、多分そういうものだった。
だから今この地球で最も腐った命がここに転がっている。
悪い予感だけが現実になって頬を叩く。
歩こうが走ろうが何も変わらない、何一つ変わらない。
結局のところ私は、私が一番なりたくないものになっていく。
それを知ってなお、
立って歩かなくてはいけないのは何故だろう?

(genetic variants, including insertions, deletions, and duplications of segments of dna, are also collectively referred to as cnvs.)